松本清張の『日本の黒い霧』にも納められている「鹿地亘事件」(占領期に米軍秘密機関が中国とパイプを持つ日本人作家・鹿地亘を対中国のスパイ網に取り込むため、約1年間にわたってアジトに拉致監禁、脅迫した事件)についてたまたま調べていて、進駐軍による日本統治が、我々がいま想像する以上に悪辣で強圧的だったことを改めて感じている。日本の主権回復(1952年)後、鹿地氏は何とか自宅に帰還したが、今度は日本の警察が「ソ連のスパイ」という米側の主張に乗っかって彼を訴追、二審でその濡れ衣が証明され鹿地氏が勝利判決を得るまでに、18年間も彼を苦しめた。占領期の米軍の違法監禁をうやむやにするために、独立後の日本警察が同胞の日本人である拉致被害者への嫌がらせを「代行・継続」したのである。


 広島・長崎の被爆の実相を隠蔽する進駐軍のやり口も露骨だった。先にノーベル平和賞を受賞した被団協の代表らは、団体が組織化され政府の被爆者対応が始まるまで「空白の10年」の「放置期間」があったと語ったが、うち7年は米軍が原爆にまつわる報道を一切禁止したプレス・コードの時期だった。戦後5年目の「8月6日」は朝鮮戦争の勃発を理由として広島での慰霊祭中止が命じられ、それでも一部の被爆者らは警察の取り締まりをかいくぐり、「原爆廃棄」などと訴えるビラを街に撒いた。そんな「ゲリラ戦術」をとらざるを得ないほど、占領下で被爆を語ることには圧力がかけられた。


 そんな遠い日の出来事をあえて持ち出すのは、2期目をスタートした米国トランプ大統領の傍若無人さが、あまりに目に余るためだ。とりわけガザ地区の住民を追い出してあの土地を米国がリゾートに開発して管理する、という妄言には、唖然としてしまった。だが、少し落ち着いて日本の占領時代を振り返れば、彼のような傲岸不遜な人物は、昔から一定数のアメリカ人にいたタイプだと理解できる。西部劇のならず者というか、ドラえもんのジャイアンというか、そういった粗野で傲慢、「スーパー自己中」の性格は決してトランプ氏ひとりの特異性ではない。もしかしたら彼の次は、イーロン・マスク氏がその後継のリーダーとして人気者になる可能性だってあるように思える。


「自由や人権、民主主義等々の価値を共有する西側陣営」という建前を、それなりに前提にできた国際協調の時代はいよいよ終わりを告げ、戦後80年を経て世界はまた1930年代のようなカオスに逆戻りしそうな様相で、本当にいたたまれない気分になる。


 今週の『サンデー毎日』では、元外務審議官の田中均氏が、トランプ氏のゴリ押し外交に耐え抜くため、参院選のあと、石破少数与党と立憲民主党が「大連立」を組むような体制の強化が必要だと唱えている(『憂国の元外務審議官田中均が語るトランプ防衛策 石破少数与党は大連立で足場を固めよ』)。これまでも時折、保革の大連立については話題に上ったが、私自身はかつての翼賛政治を思い出し嫌だったし、リアリティーもほとんどない話だと聞き流して(読み飛ばして)いた。ただそれでも、ここ最近の国内外の激変を見ていると、もしかするとこれも新しい社会防衛の一案かもしれないと思い始めている。


 そもそもアメリカのトランプ旋風そのものが、従来の真っ当な米国保守とはまるで違う陰謀論やデマをベースとしたエスタブリッシュ敵視のムーブメントだし、日本国内を見た場合も、たとえば兵庫県知事選で斎藤氏の再選を支えたエネルギーは、何らかの主義主張を持つ勢力の動きというよりは、既存の社会体制への破壊衝動をマグマとする「ええじゃないか」的運動のように映る。NHK党の立花孝志氏に代表される、そういった新勢力の拡大を押しとどめるためにも、田中氏の言うような大連立という選択肢は、実は「アリ」なのではないかと感じられるのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。